拘ることと、遊ぶこと

拘るということは、
何かに縛られるということだと思う。

言葉に縛られる。
存在に縛られる。
立場に縛られる。

社会生活の中にいれば、対立は避けられない。
そして時に、一人ではどうにも越えられない壁にぶつかることもある。

そんなとき、
一点に拘ってしまうと、ドツボにハマる可能性が高い。

視野が狭まり、
身体は固まり、
動けなくなる。

これはもう、死に体だ。

物事は、脱力して、柔軟に考えた方が、
はるかに効率がいい。

そこで大切になるのが、遊ぶことだ。

遊ぶというのは、
ふざけることでも、逃げることでもない。

楽しむということだ。

楽しむことは、
とても大切な「種」になる。

楽しんだ時間が水となり、
積み重なり、
やがて大きな木へと育っていく。

しかし、そこに邪推が入り込むと、
根は腐り始める。

思想だとか、
政治だとか、
正しさの奪い合いだとか。

そういったものは、
簡単に木を枯らしてしまう。

だからこそ、
信念は諸刃だと思う。

信念は人を支えるが、
同時に人を縛る。

一方で、
真っ直ぐさというのは、
思想ではなく、気質だと思う。

そして、それは可能性だ。

真っ直ぐに物事を見つめる目を持つこと。
それは、
真っ直ぐに身体を使えるということでもある。

力まず、歪まず、
そのまま受け取り、
そのまま動く。

もし、
そんなふうに真っ直ぐに楽しめるなら――

きっと、道は開ける。