私にとっての、道

私にとっての合気道は、
早逝した師との関係でしかない。
これは拘りなのだろうか。
それとも信念なのだろうか。
考えてみても、よくわからない。
ただそこにあるのは、
二人三脚で稽古した日々への感謝と、
その後の、私自身の怠慢に対する後悔だ。
私は、自分が死んだら、報告したいと思っている。
私は、こんなふうに合気道と向き合いました、と。
そして、もう一度、
一緒に稽古をしたい。
一緒に、楽しみたい。
この感情の正体は、やはりよくわからない。
けれど、当時のことを思い出すだけで、
今でも自然と涙が出てくる。
恩師とは、よく言ったものだ。
技を教えてくれた人、
理論を示してくれた人、
そういう存在ではない。
共に立ち、
共に動き、
同じ時間を重ねた人。
この関係性もまた、
武道的なものなのだろうか。
答えは出ない。
出す必要もないのかもしれない。
ただ、私にとっての合気道は、
今もなお、
その人との稽古の延長線上にある。
つまりは、
真摯さのバトンなのかもしれない。
私は、恩師から受け取った真摯さを、
ただ繋いでいきたいだけなのだろう。
技でもない。
理論でもない。
立場でも、肩書きでもない。
向き合い方。
稽古への姿勢。
人と立つときの在り方。
そういうものは、
言葉ではなく、
態度として手渡される。
だからこそ、
それを受け取った者が、
次へと繋ぐしかない。
真摯さは、
独り占めするものではない。
誰かから受け取り、
誰かに渡し、
そして、また自分も磨かれていく。
合気道が何であるかよりも、
私はその真摯さの流れの中にいる、
それだけなのだと思う。


