上原清吉先生という理想──歩くことが即ち技である境地と、合気道への思索
私が最も尊敬する武道家、それは本部御殿手・第十二代宗家である**上原清吉先生(1904〜2004)である。「名人」と称される人物は数多くあれど、これほどまでに「技の理想」**を体現した存在は他に知らない。 先生の所作は、 […]
無理せず続く、2つのトイレメソッド!
🫁 【頸椎に負担をかけずに排便できる「呼吸誘導法」】 ◉ コンセプト: 「いきまずに出す」ために、腹圧を高めすぎず、自然な排出反射を呼吸によって誘発する方法。呼吸の誘導で副交感神経が優位になり、排便をスム […]
トイレは身体の縮図である──排泄という無意識と脊椎の対話
人は一日に何度もトイレに行く。それは当たり前の行為でありながら、誰もそれを「身体操作の場」として意識してはいない。だがこの日常的な動作のなかにこそ、身体の癖が露わになり、無意識の緊張が潜み、積年のゆがみが表出する。 トイ […]
生き霊のような他人と、僕の内側の「あわい」
1|仮想の他人が語りかけてくる時 最近では、かつてのように不安に飲み込まれることは少なくなった。けれど、時おりふとした瞬間に、**生き霊のような“他人の目”**が、僕の心にまとわりついてくる。 もちろん、それは本当の他人 […]
凍った空気のなかで育った僕が、自分を取り戻すまで
1|家庭という沈黙の戦場 僕の幼少期は、静かな地雷原のようだった。父と母が喧嘩をし、沈黙が家中に染み渡る。爆発音も暴力もないのに、そこには確かに「恐怖」があった。 父は怒りを言葉にせず、無言のまま空気を凍らせる人だった。 […]
無駄のかたまりを愛せること──ジムニーと生きるということ
20年以上乗り続けている。1995年式ジムニー JA11、5型、幌車。シートはレカロ、構造変更済みで2人乗り。便利とは言えない。燃費も悪い。夏は暑くて冬は寒い。でも、これ以上に“自分に似合う車”は他にない。 最初に乗った […]
脱力という選択肢──生きること、護ること、創ること
「力を抜く」と聞くと、だらけているとか、やる気がないとか、ネガティブな印象を抱く人も多い。しかし、真に深い意味での脱力は、むしろ**「選択肢を生む力」**である。 交感神経が優位になったとき、人は“戦うか逃げるか”の二択 […]
護身と健康は矛盾しない──「整える身体」が危険を遠ざける
護身術と健康。この二つの概念は、これまで別々の文脈で語られてきた。護身術は危機への対応手段として、健康は日常の充実や老化予防として。しかし実際には、両者は極めて密接に関係しており、同じ“身体の使い方”に根ざしている。 例 […]
戦わずに生き抜くための身体──護身とは“脱する技術”である
護身術と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。多くの人がまず想起するのは、攻撃者を制圧する技、パンチやキックで反撃する力強い動き、もしくは格闘技のような激しい肉弾戦だろう。だが、それらは“護身”の一側面にすぎない。むしろ、本 […]
合気道は受け身の武道ではない──“先手必勝”と誘いの技法
合気道は受け身の武道だ、と語られることがある。「後の先」。つまり、相手が攻撃してきて初めて動き、決して先に手を出してはならない──そんな解釈が巷には溢れている。しかし、これは本来の合気道を深く誤解した見方だと言わざるを得 […]









