SNS嫌いの僕が、それでも発信し続ける理由

気づけば、SNSに投稿することが、億劫になっている。
いや、正直に言えば──そもそも僕はSNSが好きじゃない。
20歳の頃から、SNSでのコミュニケーションにどこか疑問を感じていた。
そこにあるのは「架空の世界」だと思った。
キラキラと、満たされているように見せかける投稿。
一瞬だけ満たされたような気がしても、すぐに消えてしまう擬似的な満足感。
「つながり」があるように錯覚させるだけで、本当の孤独は、むしろ深まっていく気がする。
SNSは人間の本来的なコミュニケーションの形を、根本から変えてしまったのかもしれない。
画面の向こう側で交わされるやりとりは、どこまでも軽やかで、どこまでも薄っぺらい。
その「薄さ」に、僕はいつも戸惑い、違和感を抱えながら、どこか距離をとっていた。
それでも、僕にはSNSを使う「理由」がある。
家族を守り、幸せにする義務があるからだ。
自分の仕事や活動を知ってもらい、必要としてくれる人に届くようにしなくてはいけない。
それが現実だ。
でも──
やっぱり、無理にシリーズ投稿を続けたり、「らしい形」に自分をはめ込むことには、もう疲れてしまった。
SNSは義務のためだけに続けるものじゃないはずだ。
これからは、一つひとつを“紡ぐ”ように投稿していこうと思う。
シリーズものにこだわる必要はない。
その時その時の、自分の考えやアイディア、気持ちを素直に表現する。
SNSだからといって、「特別なコンテンツ」を作らなきゃいけない、なんて思う必要もない。
むしろ、思いついた瞬間のリアルな自分を、そのまま残していく。
僕にとってのSNSは、もう「作品」だ。
誰かの目や評価のためじゃなく、自分のために記録する「日記」や「手紙」に近い。
誰にも届かなくていい。ただ、自分自身が納得できるものを置いていきたい。
SNSで感じる孤独や違和感、そのすべてを、これからは隠さない。
孤独は誰かと分かち合うためにあるのかもしれないし、
本音を出すことで、遠くで誰かが静かに共鳴してくれることもあるだろう。
SNSは「悪」かもしれない。でも、使い方は自分で決められる。
義務と責任と、自分の感性の間で揺れながら、
これからは一つ一つ、紡ぐように発信していく。
それが、今の僕にできる“正直なコミュニケーション”だと思うから。