親密さという美

私は親密なものが好きだ。

例えば、画家であれば 鈴木信太郎 や 脇田和。
建築家であれば 吉村順三。

彼らの作品には、強さや鋭さではなく、静かな“近さ”がある。
声を張り上げることなく、ただそこに在り、気がつけば心に触れている。

親密さというのは、大切な要素だと思っている。

だが、大きな流れの中では、この感覚は見落とされがちでもある。
人の心に吸い付くような感性は、派手ではない。
映える驚きでもなければ、強烈な主張でもない。

むしろ、あまりに自然で、あまりに普通に見える。


民族が違えば、素朴さの感じ方も変わる。
それぞれが持つ歴史の中で培われた感性は、簡単には共有されない。

国際的な評価軸では測れない世界は、実はとても広い。

日本人の感性が外に開かれたとしても、理解されないことの方が多いだろうし、
逆もまた然りだと思う。


私は絵画を学んだ。

師は、垣内カツアキ 先生。
野間仁根 に学んだ方だ。

多くのことを教わった。
今となっては、随分とご無沙汰してしまっていることが悔やまれる。

先生は、私の中では“名人の境地”にある方だった。


境地とは、ジャンルの垣根を越える。

一流は一流を知る。
分野が違っても、そこには共通する何かがある。

ただし、その境地と外の評価は、必ずしも一致しない。
それが価格に反映されるわけでもない。

むしろ、二流三流が高値で取引されることも多い。
結局のところ、評価は人気と切り離せない。

そういう意味で、美術もまた、人気商売の側面を持っている。


だが、それでも。

自分の画風を確立し、自由に、のびやかに描くこと。
その喜びが滲み出る世界は、美しい。

それは、合気道の世界観とどこか似ている。

無理に勝とうとするのではなく、
ただ自然に通ること。

ただ在ること。


しかし、その価値観は、必ずしも第一線で評価されるものではない。

親密さと同じように、その流れは途絶えないかもしれないが、
舞台は決して広くはない。


本物は目立たない。

だが、その香りを知る者は、決して見逃さない。


「本物はマニアックだ」と言ってしまうと、少し違う気がする。
そこには誤解も生まれる。

むしろこう言った方が近い。

本物は、普通に見える。


ただ、その“普通”は、
作られたものではなく、到達したものだ。

無理がなく、誇張もなく、
ただ自然にそこにある。


その香りを知っていること。

それは、私にとって確かな喜びの一つである。