先生たちは、思いがけない姿で現れる

先生と聞くと、色々な人の顔が浮かぶ。
合気道の先生。
学校の先生。
人生の先輩。
本を通して出会った人たち。
しかし振り返ってみると、本当に大切なことを教えてくれた先生は、必ずしも「先生」と呼ばれる人ばかりではなかった。
私の場合、それは一匹の猫であり、そして家内だった。
拘りの塊だった頃
若い頃の私は、とにかく拘りの強い人間だった。
自分の理想があり、自分の信じる道があり、それを貫くことに価値があると思っていた。
芸術もその一つだった。
人生を賭けるつもりだった。
理解されなくてもいい。
孤独でもいい。
作品のためなら他のことを犠牲にしてもいい。
そんな覚悟すらあったように思う。
もちろん、その時代を否定するつもりはない。
あの頃の自分がいたから今がある。
ただ、今振り返ると、私は何かを掴むことばかり考えていて、手放すことを知らなかった。
猫が教えてくれたこと
以前のブログにも書いたが、私は親に見放された子猫を育てることになった。
私は猫アレルギーだった。
正直、最初は嫌だった。
しかも当時、私はすでに合気道初段だった。
技も覚え、稽古もしていた。
けれど今思えば、合気道の意味を本当に理解していたかと言われれば怪しい。
なぜなら私はまだ、自分の思い通りに世界を動かそうとしていたからだ。
そんな私に猫は容赦なかった。
思い通りにならない。
言うことを聞かない。
構いたい時には来ない。
しかし忘れた頃に膝の上に乗ってくる。
猫は力で動かせない。
執着すると離れていく。
自然体になると近くにいる。
私は猫と喧嘩しながら学んだ。
相手を変えようとしないこと。
相手を支配しようとしないこと。
そして、自分の拘りを少し緩めること。
今思えば、あの猫は私に「手放すこと」を教えてくれた先生だったのだと思う。
家内が教えてくれたこと
そしてもう一人の先生がいる。
家内である。
人生には色々な選択肢がある。
芸術だけを追い続ける人生もあっただろう。
孤独の中で制作を続ける人生もあっただろう。
もしそうしていたら、また別の景色が見えていたかもしれない。
しかし私は家族を選んだ。
家内との人生を選んだ。
子供との時間を選んだ。
ある意味では、私は凡人なのかもしれない。
もっと尖る道もあった。
もっと破滅的な道もあった。
けれど私はその道を選ばなかった。
そして今は、それで良かったと思っている。
家内は私に和合を教えてくれた。
自分だけの正しさを押し通すのではなく、誰かと共に生きること。
違いを認めること。
歩幅を合わせること。
譲ること。
受け入れること。
それは合気道の技術よりも難しい学びだった。
人生は後から物語になる
人は偉人の人生を語る時、一本の道として描きたがる。
若い頃から志を持ち、
迷わず進み、
信念を貫き、
成功した人。
そんな物語を作りたがる。
しかし本当にそうなのだろうか。
私はそうは思わない。
人間はもっと曖昧なものだ。
迷う。
悩む。
方向転換する。
後悔する。
諦める。
そしてまた歩き出す。
外から見れば一本の道に見えても、本人の中では右往左往している。
むしろ、その方が自然だと思う。
人生とは、生きている最中に物語になるのではない。
後から振り返った時に、結果として一本の道に見えるだけなのだ。
私自身もそうだ。
芸術をやり。
合気道をやり。
猫に育てられ。
家族を持ち。
武心脱力®︎を伝えている。
本人からすれば寄り道ばかりである。
しかし振り返れば、不思議と繋がっている。
だから人生とは、目標へ一直線に向かうものではなく、遠回りしながら理解を深めていくものなのかもしれない。
拘ることより、楽しむこと
そんなことを考えるようになって、最近はこう思う。
拘ることよりも、楽しむことの方が大切なのではないか。
もちろん拘りは大切だ。
拘りがあるから探求は続く。
拘りがあるから技術も磨かれる。
しかし拘りは、人を縛ることもある。
「こうでなければならない」
「本物とはこうあるべきだ」
「自分はこの道を進まなければならない」
そう思い始めた瞬間、人生は窮屈になる。
猫はそんなことを考えていない。
子供もそんなことを考えていない。
彼らは今を生きている。
楽しんでいる。
だから私は思う。
人生は楽しんだ者勝ちなのかもしれない。
武道も。
芸術も。
仕事も。
家族との時間も。
全部ひっくるめて楽しめた方がいい。
その方が長く続く。
その方が豊かだ。
その方が自然体だ。
武心脱力®︎もまた、和合の道
今、私は武心脱力®︎を伝えている。
身体を整える技術として伝えているが、その根底にあるものは技術だけではない。
力を抜くこと。
執着を手放すこと。
相手と争わないこと。
自然体でいること。
そして人生を楽しむこと。
振り返れば、それらは道場だけで学んだものではなかった。
一匹の猫と。
一人の妻と。
共に生きる中で学んだものだった。
先生たちは、思いがけない姿で現れる。
そして本当に大切な教えほど、言葉ではなく生き方で伝えてくる。
だから今の私は、何かを貫くことよりも、人生を味わうことを大切にしたい。
遠回りでもいい。
迷ってもいい。
ブレてもいい。
最後に振り返った時、
「ああ、楽しかったな」
そう思えたら、それで十分なのだと思う。
合気道フィットネス らん°武.
武心脱力®︎は、身体を整える技術であると同時に、生き方を見つめ直すための実践です。
力を抜くとは、諦めることではありません。
執着を手放し、自分らしく人生を楽しみながら、世界と和合するための知恵なのです。


