にゃんこ先生 〜合気道の意味を教えてくれた17年〜

実家の猫が元気がないらしい。

17歳になったばかりのオスのキジトラだ。

考えてみれば長生きである。

この猫は元々、親猫に見放されていた子猫だった。それを保護したのがきっかけで、私が育てることになった。

しかし、当時の私は猫アレルギーだった。

正直に言えば、嫌で仕方なかった。

アレルギーの原因を家に置くのだから当然である。

しかも私は犬しか飼ったことがなく、猫という生き物をほとんど知らなかった。

今思えば、あの出会いは人生の転機だったのかもしれない。

初段だった私が理解していなかったこと

当時、私はすでに合気道初段だった。

稽古もしていたし、技も覚えていた。

しかし今振り返ると、合気道の本質を理解していたかと言われれば怪しい。

私は今よりも遥かに拘りが強かった。

自分の考えが正しいと思っていたし、自分の理屈で物事を動かそうとしていた。

力技で人生を押し通そうとしていたと言ってもいい。

そんな私が向き合うことになったのが猫だった。

ところが猫は、こちらの思い通りにならない。

呼んでも来ない。

構いたい時には来ない。

しかし、忘れた頃に膝の上に乗ってくる。

犬のような従順さを期待していた私には理解不能だった。

何度も喧嘩した。

もちろん猫からすれば迷惑だっただろう。

しかし、その時間の中で私は少しずつ気づいていった。

猫は力で動かせない

猫は力で動かせない。

無理に何かをさせようとすると離れていく。

こちらの都合を押し付ければ距離を取る。

逆に、こちらが自然体になると近くにいる。

これは後になって思えば、合気道そのものだった。

相手を支配しない。

相手を変えようとしない。

まず相手を認める。

力で押し通さない。

和合する。

私は合気道を道場で学んでいたはずだった。

しかし、その意味を本当に理解したのは猫との暮らしの中だったように思う。

だから時々思う。

武道家は猫を飼った方がいい。

犬を育てることも素晴らしい経験だが、猫という生き物はまた別の意味で人を育てる。

こちらの執着や力みを容赦なく映し出してくる。

猫と向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあるのだ。

気がつけば17年

その後、色々な事情があり彼は実家で暮らすことになった。

それから長い年月が経った。

しかし、17年という数字を聞いて驚いた。

そんなに経ったのか。

私の感覚では昨日のような話なのである。

17年前が昨日のように感じる。

だが現実には17年が過ぎている。

親も歳を取った。

私も歳を取った。

気がつけば結婚し、子供もいる。

時間とは本当に不思議なものだ。

若い頃は17年後など想像もできない未来だった。

しかし今は17年前がついこの前のことに感じる。

大人は完成しない

子供の頃、大人という存在は完成された人間に見えていた。

何でも知っていて、何でもできて、迷わない。

そう思っていた。

しかし実際に大人になってみると違う。

大人も迷う。

失敗する。

不安になる。

未来のことなどわからない。

結局のところ、子供より少し長く生きているだけなのだ。

図体は大きくなる。

経験も増える。

けれど根っこの部分は案外変わらない。

だからこそ、親の苦労も見えるようになる。

昔は理解できなかった言葉が理解できるようになる。

そして老いていく猫の姿を見ながら、自分自身もまた同じ時間の流れの中にいることに気づくのである。

死は近づいているのではなく、生きた時間が積み上がっている

17歳の猫。

人間で言えばかなりの高齢だ。

元気がないと聞けば心配になる。

まだまだ生きてほしいと思う。

それは当然の感情だろう。

しかし一方で、こんなことも思う。

死が近づいているのではない。

生きた時間が積み上がったのだ。

17年という時間を共に生きてきた。

その事実は消えない。

親に見放されていた小さな子猫は17歳になった。

猫アレルギーだった私は、いつの間にか犬も猫も好きになった。

そして、あの頃には想像もしなかった人生を歩いている。

そう考えると、時間は残酷なだけではない。

ちゃんと何かを育てている。

猫も。

人も。

にゃんこ先生

私はこの猫を「にゃんこ先生」と呼びたい。

彼は何かを語ったわけではない。

何かを教え込んだわけでもない。

ただ、自分らしく生きていただけだ。

自然体で。

力まず。

思い通りにならず。

しかし、その姿から私はたくさんのことを学んだ。

相手を変えようとしないこと。

執着しないこと。

力で押し通さないこと。

自然体で生きること。

そして、限りある時間を大切にすること。

もし私が合気道から学んだことは何かと聞かれたら、その答えの一部は間違いなくこの猫の中にある。

技は道場で学んだ。

しかし、その意味は猫が教えてくれた。

だから私にとって彼は、ただの飼い猫ではない。

17年間を共に歩んだ、一人の師匠なのである。


合気道フィットネス らん°武.

武心脱力®︎は、力を抜くことを通じて、自分自身や周囲との調和を学ぶ身体文化です。

その学びは道場だけに存在するものではありません。

時には、一匹の猫との暮らしの中にも存在するのです。