向き合うということ

レッスンをする中で得られる喜びは、何にも代え難い。
それは、何かを得たいと望まれることに対して、
精一杯に向き合うことの本望のようなものだと思っている。
自分の精一杯が、相手の中で何かと繋がる。
その感覚が、ただ純粋に嬉しい。
私は常に、
「ここまでおいで」などという気持ちは持っていない。
高い場所から引き上げるような感覚は、まったくない。
むしろ逆で、
どうしたら同じ場所に、効率よく来てもらえるか。
自分にできることで、何が可能なのか。
知りたいという人に対して、どのような言葉なら届くのか。
そういうことばかりを考えている。
「私から学びなさい」などという驕りは、死んでも持ちたくない。
人は、人との繋がりの中で生かされている。
そのことを、毎回のレッスンで実感する。
これは本当に有難いことで、
これ以上の満足は、なかなかないのではないかと思う。
一つ一つの場面は、すべて一期一会だ。
だからこそ、噛み締める。
人に裏切られることがあっても、あまり気にしない。
なぜなのかと考えると、
他人に興味がないとか、期待していないとか、
そういうことではない。
おそらく私は、
生きているという実感や喜びの中に、どう入っていけるか。
それを本能的に探しているのだと思う。
だから、それを感じられないものに対して、
執着する必要がない。
真っ直ぐに生きていれば、
必要なものは、ちゃんと届く。
どのような形であれ。
そう信じている。
例えば、私はある時からアーティストとして、
作品を売って生計を立てたいとは思わなくなった。
なぜか。
そこには必ず、何らかの構造があり、
その中に絡め取られてしまう感覚があるからだ。
評価や流通の仕組みの中で、
本来の感覚が削ぎ落とされていく。
そうではなく、
個人と個人のやり取りの中で生まれる感覚。
その中にこそ、美があると感じている。
らん武で起きていることも、同じだ。
目の前の一人と向き合い、
言葉を交わし、
身体を通して理解が繋がる。
その瞬間に生まれるものは、
どこにも流通しない。
だが確実に、存在している。
それでいいと思っている。


