キャンバスの外へ ── 芸術と仕事のあわいで

私は長い間、自分を芸術家だと思っていた。

いや、正確には「芸術家である」と言い続けなければならなかった。作品を制作し、展示し、自分の表現を世の中に提示する。そのために時間もお金も使い、将来の不安を押し殺しながら、命懸けで筆を握っていた。

当時の私は純粋だったと思う。しかし同時に、キャンバスがすべてを吸い込んでいた。家族との関係。社会との関係。経済との関係。そういったものが希薄になっていた。


かつて私は「間(あわい)」というテーマで作品を制作していた。

人と人の間。内と外の間。存在と存在の間。その境界が曖昧になる場所を探っていた。

今振り返ると、そのテーマは武心脱力®︎とまったく同じ場所に繋がっている。間合い、球体感覚、一体感、和合。相手との距離、空間との関係、身体の内側と外側。すべて「あわい」の研究だ。作品で問い続けていたことを、今は身体を通して探求している。媒体が変わっただけなのかもしれない。


らん°武.を始める時、以前の会社の社長に言われた。「作品制作なんて老後の余暇でしかできないよ」と。

確かに今は、アトリエに籠もって制作する時間はない。家族がいる。お客様がいる。売上も必要だ。来月生き延びられるか不安なこともある。

しかし不思議なことに、私は今も作品と向き合っている感覚がある。ただし、向き合う相手が変わった。キャンバスではなく、人間になった。


今の自分を一言で表す肩書きは存在しない。

武道家なのか。トレーナーなのか。芸術家なのか。自分でもよくわからない。でも、それでいいと思っている。私はただ、自分の問いを生きているだけだ。

芸術がキャンバスから溢れ出したのだと思う。レッスンの中に。人との関係の中に。家族との時間の中に。武心脱力®︎の探求の中に。

人間とは何か。

その問いを抱えながら生きる。昔も今も、たぶんそこは変わっていない。変わったのは向き合う相手だけだ、と言い切れたらすっきりするのだが、まだそう言い切れない自分もいる。