新渡戸稲造とジムニーと、時間の流れ

先日、お店で5000円札を出した。

すると店員さんの若い女性が、

「誰ですか!?」
「初めて見ました!」

と驚いていた。

手元を見ると、そこには新渡戸稲造。

私の世代にとっては当たり前だった5000円札である。

だから最初は何を言われているのかわからなかった。

しかし考えてみれば、5000円札の肖像が新渡戸稲造から樋口一葉に変わったのは2004年。

さらに現在は津田梅子である。

調べてみると、今の20代前半の人たちは、新渡戸稲造の5000円札を実際に使った記憶がほとんどないらしい。

私にとっては見慣れたお札だったものが、若い世代にとっては「見たことのないお札」になっていた。

少し衝撃だった。

昨日のことのような20年前

樋口一葉に変わった時のことは今でも覚えている。

新しいお札だなと思った。

ところが、その「新しいお札」が登場したのは20年以上前である。

20年。

数字にすると長い。

しかし感覚としてはそこまで昔ではない。

昨日のこととは言わないまでも、つい最近の出来事のように感じる。

私は1995年製のジムニーに乗っている。

気づけば30年以上前の車だ。

それでも自分の中では、そんなに古い感覚がない。

ところが世の中から見れば、十分に旧車である。

時間というのは不思議なものだ。

年齢とともに変わる時間感覚

子どもの頃の1年は長かった。

夏休みは永遠に続くように感じた。

しかし30歳を過ぎた頃から、時間の流れが明らかに速くなった。

40歳が近づくとさらに加速する。

1年があっという間に終わる。

気づけば春が来て、気づけば年末になっている。

昨日のように思い出せる出来事が、実は10年前だったり20年前だったりする。

時間そのものは変わっていない。

変わったのは、自分の感じ方なのだろう。

身体も同じ

実は身体も同じである。

ある日突然衰えるわけではない。

少しずつ変化している。

ところが、その変化は毎日少しずつなので気づきにくい。

気づいた時には、

「前はもっと楽に立てたな」

「昔はこんなところ痛くなかったな」

ということが増えている。

時間感覚と同じで、変化はゆっくりだからこそ見落としてしまう。

だから今のうちに学ぶ

身体の使い方を学ぶ価値はここにあると思う。

身体が動かなくなってから学ぶのも大切だ。

しかし、本当はまだ動けるうちに学んだ方がいい。

柔らかさも。

脱力も。

重心の扱いも。

転び方も。

呼吸も。

身体は使い方次第で大きく変わる。

そして、その積み重ねは10年後、20年後に現れる。

気づけば新渡戸稲造が化石になっていたように、気づけば自分も歳を重ねている。

だからこそ、まだ身体が応えてくれる今のうちに。

身体の声を聞き、身体との付き合い方を学んでおくことには大きな意味があるのだと思う。


気づけば20年経っていた。

だからこそ、今からの20年も案外あっという間なのかもしれない。