コラム
武道に残るもの、時代が選ぶもの
1. 名人を追いかけても届かないもの 武道を学ぶ人間は、いつだって名人の姿を追いかけます。映像を見て、型を真似して、同じ動きを繰り返す。でも——そこに宿っていた「気迫」や「技の重さ」までは、映像では伝わってきません。 「 […]
正座を忘れた身体と、武道が呼び戻すもの
「気づけば、正座ができなくなっていた」——そんな経験はないでしょうか。足がしびれる、膝が痛い。もはや床に座ること自体が特別な所作になってしまった現代日本人の身体。けれど、ほんの数十年前まで、私たちは日常的に床に座り、膝を […]
試合以前のリアル ――中の先しか残らなかった
合気道には試合がない。他流試合も禁止されている。だから、これから語ることは危うい話題だという自覚がある。だが、実際に立ち会ってしまった以上、その体験を黙して封じることはできない。 試合は立ち会う前から始まっていた 「試合 […]
先の先・中の先・後の先 ――攻めに宿る護身の真髄
武道には「先の先」「中の先」「後の先」という三つの「先」がある。一見すると、相手に対して早い・遅いの区別のようにも思えるが、その実、どれも根底には自ら攻める主体性が横たわっている。受けることですら、攻めである。 先の先 […]
膝行と座技──合気道を合気道たらしめるもの
日本の武道には、世界でも珍しい動きがあります。正座の姿勢から膝だけで進む「膝行(しっこう)」、そしてそこから展開される「座技自由技」です。これは単なる動きではなく、合気道を合気道たらしめる大きな柱といえるでしょう。 もと […]
気というものについて
「気」という言葉がある。気持ち、気迫、気配、気のせい──。日常で何気なく口にしながらも、その正体はとらえにくい。ときに第六感と呼ばれたり、幽霊や妖怪の存在と結びつけられたりもする。不思議な存在だ。 私はこの「気」というも […]
捨て身から護る覚悟へ
かつて私は、肉体を、命を捨てることで恐怖を越えようとしていた。「どうなっても構わない」という捨て身の覚悟が、自由に動ける唯一の鍵だった。命を放り出すことで恐怖は弱まり、居着きは消えていった。 だが家族を持ってから、全てが […]










