楽しい動きが、人を連れていく

何十年も続けている稽古

私には、ずっと続けている稽古がある。

入り身転換だ。

気がつけば、何十年もやっている。

相手がいなくてもできる。

一人でもできる。

特別な道具もいらない。

ただ身体を動かすだけだ。

それなのに、未だに飽きない。

未だに発見がある。

だから続いている。

なぜ続いているのだろう。

そう考えた時、答えは意外と単純だった。

楽しいからだ。

それ以上でも、それ以下でもない。

拘りよりも大切なこと

昔の私は、もっと難しく考えていた気がする。

武道とは何か。

芸術とは何か。

本物とは何か。

人生を賭けるとは何か。

そんなことばかり考えていた。

もちろん、その時間は無駄ではなかった。

あの頃の自分がいたから、今の自分がいる。

けれど、少し肩に力が入っていた。

そんな気もする。

何かを極めようとしていた。

何かになろうとしていた。

何かを証明しようとしていた。

今思えば、それもまた一つの力みだったのかもしれない。

入り身転換には、そんなものがない。

ただ面白い。

身体の向きが変わる。

景色が変わる。

重さが消える。

力が流れる。

その感覚が好きだ。

だから続いている。

人が深く進む理由

誰かに褒められるためではない。

試験のためでもない。

お金になるわけでもない。

ただ面白いからやる。

そして気がつくと、何千回も、何万回も繰り返している。

人が深く進む時というのは、案外こういうものなのかもしれない。

必要だからやるのではない。

好きだからやる。

義務だから続けるのではない。

面白いから続く。

その結果として、深くなっている。

私は長く武道を続けてきた。

正直に言えば、楽しいことばかりではなかった。

むしろ、楽しくないことの方が多かったかもしれない。

厳しい稽古。

上達しない時間。

理不尽なこと。

色々あった。

それでも残っているものを考えると、結局は楽しかったものなのだ。

楽しいは強い

指導をするようになって、ますますそう思う。

褒められることは大切だ。

認められることも大切だ。

人はそれによって勇気をもらう。

でも、それだけでは続かない。

本当に続く人は、自分の中に「楽しい」を持っている。

誰も見ていなくてもやる。

誰にも言われなくてもやる。

勝手に工夫する。

勝手に研究する。

勝手に深くなる。

そういう人は強い。

だから私は、身体を教える時も、その人の「楽しい」を大切にしたい。

これをやりなさい。

あれをやりなさい。

もちろん必要なこともある。

けれど、本当に人を育てるのは、「面白い」という感覚なのではないだろうか。

面白いから続く。

続くから深くなる。

深くなるから、もっと面白くなる。

人生もまた転換

思えば、人生も似ている。

芸術をやった。

合気道をやった。

猫に育てられた。

家族を持った。

その時々では、寄り道に見えた。

回り道に見えた。

けれど振り返れば、全部繋がっている。

そして今は、人生そのものが入り身転換に似ている気がしている。

真っ直ぐ進むだけではない。

向きを変える。

遠回りをする。

思いがけない場所へ行く。

その先で、新しい景色に出会う。

若い頃は、一本道を貫くことが大切だと思っていた。

でも今は少し違う。

楽しみながら続けた先にあるものの方が、ずっと深い気がしている。

一番遠くまで連れて行ってくれるもの

だから私は今日も転換をする。

上達のためではない。

誰かに認められるためでもない。

ただ、面白いからだ。

そして、その「面白い」が、結局は一番遠くまで連れて行ってくれるのだと思う。