芸術とは無用である。だからこそ価値がある

芸術とは無用である。
だからこそ価値がある。

少し乱暴な言い方に聞こえるかもしれません。
しかし私は、この言葉に強く共感しています。

世の中の多くのものは、「役に立つかどうか」で判断されます。

・健康に良い
・効率が良い
・お金になる
・成果が出る

こうした「用」が求められる社会の中で、芸術というものは少し奇妙な存在です。

なくても生活はできる。
食べ物でもないし、道具でもない。

それでも人は、時に芸術を強く求めます。

なぜでしょうか。

それは、芸術が「心を動かすもの」だからだと思います。

役に立つから欲しいのではない。
必要だから手に入れるのでもない。

ただ、
「どうしても欲しい」
と思わせてしまう力がある。

それが芸術です。


無用の価値

実はこの「無用」という考え方は、東洋思想にもよく出てきます。

役に立たないものこそ、実は大きな価値を持つ。

なぜなら、役に立つことを目的にした瞬間に、その価値は限定されてしまうからです。

役に立つものには「使い道」があります。
しかし無用のものには、使い道の制限がありません。

つまり、
価値が無限に広がる可能性がある。

それが「無用の価値」です。


身体探求もまた、無用に見える

私が日々探求している身体の動きも、
多くの人から見れば、もしかすると「無用」に見えるかもしれません。

歩き方を研究する。
呼吸を観察する。
丹田に落ちる感覚を探る。

それが直接、何かの資格になるわけでもない。
すぐにお金になるわけでもない。

しかし、この探求は確実に人生を変えます。

呼吸が変わる。
身体が軽くなる。
人との関係が自然になる。
日常の景色の感じ方が変わる。

一見「役に立たない」ことの中に、
とても深い価値がある。

私はそれを、身体を通して感じてきました。


人を惹きつけるもの

世の中には
「便利なもの」はたくさんあります。

しかし、
「どうしても欲しくなるもの」は、
それほど多くありません。

芸術は、まさにその後者です。

役に立つからではなく、
心が動くから欲しくなる。

そしてそういうものほど、
人の人生に深く残る。

だからこそ私は思います。

無用の価値は、無限大である。

そして、
人が本当に惹きつけられるものは、
いつもその領域にあるのではないでしょうか。