行動する人が強い、は本当か──外に向かう行動と、内に向かう行動について

「行動する人間が強い」
「だから、バカになってどんどん動け」

世の中には、こうした言葉が溢れている。
考える前に動け、迷うくらいならやれ、思い立ったら吉日。
確かに、それは正論だと思う。アイディアを出し、遂行し切る能力があれば、多くのことは前に進む。状況に応じて臨機応変に動ければ、なおさらだ。

正論を積み上げれば、いくらでも言える。
そして、それを「単純にできる人」にとっては、これ以上ない正解なのだろう。

ただし、問題はそこだ。
みんながみんな、それを同じようにできるわけではない。

外側を旅する人と、内側を旅する人

例えば、一人旅が好きな人。
知らない土地に行き、新しい景色を見て、人と出会い、予期せぬ出来事を楽しめる人。私はそういう人を、純粋に「行動できる人」だと思う。

その人たちは、おそらく外側にワクワクの源泉を持っている。
外に出ることで刺激を受け、エネルギーが循環していくタイプだ。

一方で、私はまったく逆だった。
外へ外へと向かうよりも、自分の内側を旅するほうが、圧倒的に面白かった。

深海には、人類がまだ見ぬ景色が無数に広がっている。
それと同じように、自分の内側にも、まだ言葉にも形にもなっていない世界が広がっている。私は、そこを潜っていく感覚が好きだった。

どちらが良い、悪いではない。
ただ、行動の向きが違うだけなのだと思う。

行動とは、結果でしかない

ここで一つ、はっきりさせておきたいことがある。
行動そのものが大切なのではない。

「好き」「楽しい」という感覚に、どこまで正直でいられるか。
行動とは、その結果として現れるものだと思っている。

外に向かって動く人もいれば、内に向かって深く潜る人もいる。
人にはそれぞれペースがあっていいし、その人なりの速度がある。

問題なのは、
自分のペースを無視して、他人の行動論を無理に当てはめてしまうことだ。

早生まれだった私の違和感

私は早生まれで、例に漏れず、集団生活があまり得意ではなかった。
基礎の段階でつまずくと、そこから先のやる気は、なかなか湧いてこない。

人と比べられること。
組織の中で勝つこと。
誰かと同じペースで進むこと。

それらは、私にとって常に息苦しさを伴うものだった。

社会の中で「普通に」生きるというのは、
学校生活で優秀だったり、なんとなくでもうまくやってこれた人たちにとっては、自然なことなのだと思う。

だが、私にはそれが、とても苦痛だったのだろう。
それは後になって、ようやく分かったことだ。

もし、自分のペースに寄り添ってくれる環境があったなら。
もし、比べられることなく、基礎をじっくり育てられたなら。
きっと、まったく違う感覚で世界を見ていただろう。

基礎は、すべての礎になる

何にせよ、基礎は何よりも大切だ。
基礎は、その後に伸びていく枝葉すべてを支える礎になる。

基礎が不安定なままでは、どんなに努力しても、どこかで歪みが出る。
だからこそ、基礎は「うまく作ってあげなければならない」。

私が合気道の基礎を学んだのは、マンツーマンだった。
だから、自分のペースで取り組めたし、気力が落ちたときも、きちんと掬い取ってもらえた。

目標があれば、気力の出ない稽古日があっても、続けることはできる。
続けることで、ある日ふと、身体が応えてくれる瞬間が来る。

らん°武.をパーソナルにした理由

らん°武.を、パーソナルレッスンができる場として作ろうと思ったのは、こうした経験がすべて背景にある。

行動できない人を、無理に動かす場所ではない。
誰かのペースを、正解として押し付ける場所でもない。

その人の「好き」や「楽しい」に、静かに寄り添い、
内側にあるものが、自然と動き出すのを待つ場所。

行動は、あとからついてくる。
それでいいのだと思っている。