芸術よりも自由な場所で

先日、「好きな芸術家は誰ですか?」と聞かれた。

不思議なことに、何も思い浮かばなかった。

美術史は散々勉強してきたし、影響を受けた作家も数え切れないほどいる。昔なら喜んで名前を挙げていただろう。

それなのに、誰も出てこない。

その時は自分でも少し驚いた。

なぜだろうと考えてみると、一つ思い当たることがあった。

私は長い間、「美とは何か」を見つめ続けてきた。

絵画や彫刻だけではない。人の生き方や思想、身体の在り方まで含めて、美しいものを探してきた。

そしていつの間にか、「誰が作ったか」よりも、「それは美しいのか」ということの方が重要になっていたのだと思う。

目の前に立ち現れたものに、美を感じる。

その瞬間を掬い取りたい。

作家名も、美術史上の位置付けも、その後に考えればいい。

そんな順番になっていた。


らん°武.を始めてから、私の世界は大きく広がった。

身体。

健康。

武道。

護身。

子育て。

経営。

地域との関係。

AI。

かつて芸術とは別の世界だと思っていたものが、すべて探求の対象になった。

しかし面白いことに、それらはバラバラではなかった。

どこかで一本の線で繋がっている。

例えば、人が無理なく立つ姿。

それだけで美しい。

肩の力が抜けている。

自然に呼吸している。

本人も気付かないほど楽に立っている。

そんな瞬間を見ると、嬉しくなる。

楽しくなる。

そこには芸術作品を見た時と似た感覚がある。

しかし、その感覚はもう「芸術だから価値がある」というものではない。

ただ目の前の人が自由になった。

その事実が嬉しいのだ。


昔の私は、芸術を中心に世界を見ていた。

今は少し違う。

芸術という枠組みの外側から世界を見ている感覚がある。

それでも不思議なことに、美は消えない。

むしろ至るところに現れる。

人が自然に立つ姿。

受け身が流れる瞬間。

誰かが安心して笑う時間。

子どもが夢中になって遊ぶ姿。

そういうものの中に、美しさを感じる。

だから最近は、芸術という言葉にあまり縛られていない。

芸術家である必要もない。

芸術を語る必要もない。

ただ、目の前に現れたものの中に価値を見つけたい。

掬い取りたい。

それだけだ。


好きな芸術家の名前が出てこなかった理由は、芸術から離れたからではなかった。

むしろ逆だった。

気が付けば、芸術が世界の一部ではなく、世界そのものの見方になっていたのだ。

だから私は今、芸術よりも自由な場所にいる。

そしてその自由な場所から振り返ると、やはりちゃんと芸術に繋がっている。

そのことが少し可笑しくて、少し嬉しかった。