柔軟性という概念への疑問

私は正直、合気道の稽古をガンガンやる時であっても、準備体操をほとんどしない。
そもそも必要がないと考えている。
武道というものは、本来「常住坐臥」の世界だと思っているからだ。
つまり、
日常と稽古が分離していてはいけない。
道場に入って、
道着を着て、
はいスイッチが切り替わります、
では意味がない。
本当に必要なのは、
「いつでも動ける身体」である。
立った瞬間、
歩いた瞬間、
振り返った瞬間、
すぐ反応できること。
それが武道的な身体の健全さだと思っている。
だから私は、
日常の姿勢や歩き方、
呼吸、
身体の使い方そのものが稽古であり、
最低限のトレーニングを日課にする方が遥かに重要だと考えている。
そして、この視点から見ると、
「柔軟性」という概念にも疑問が出てくる。
もちろん、
股関節や胸周りが固まり、
身体が詰まってしまえば、
全身の連動は消える。
呼吸は浅くなり、
腰で踏ん張り、
肩や首で支え、
膝が詰まり、
丹田に落ちられなくなる。
だから最低限の柔らかさは必要だ。
特に現代人は、
- 長時間の座位
- スマホ姿勢
- ストレス
- 呼吸の浅さ
- 加齢
によって、
胸郭や股関節が非常に固まりやすい。
この状態では、
そもそも「流れる」という感覚自体が失われてしまう。
だから、入口としてのストレッチは必要になる。
ただ、それは、
「柔らかい身体を目指す」という話ではない。
本質は、
“流れを取り戻すこと”
にある。
柔軟性そのものを競うことではない。
私は、
開脚ができるとか、
ベターっと潰れるとか、
そういうことにはあまり意味を感じていない。
大切なのは、
- 力みなく動ける
- 詰まらない
- 接点で固まらない
- 落ちながら動ける
- 全身が連動する
ということだ。
つまり、
「柔らかい身体」より、
「居着かない身体」。
ここが重要だと思っている。
そして本来的な身体操作が身につけば、
過度なストレッチや準備運動は不要になっていく。
なぜなら、
日常動作そのものが調整になるからだ。
正しく立つ。
呼吸が通る。
肩甲骨が抜ける。
膝が抜ける。
丹田に落ちる。
そうなると、
歩くことすら稽古になる。
生活そのものが、
身体を整える方向へ変わっていく。
逆に現代は、
日常で壊れ、
稽古で一時的に戻し、
また日常で壊れる。
その繰り返しになっている人が多い。
だから私は、
「ある程度動ける内に」
身体操作を身につける必要があると思っている。
完全に固まってからでは、
技術以前に、
感覚そのものが入らなくなるからだ。
武道とは、
非日常の中だけで成立する技術ではない。
日常そのものを、
どう生きるか。
その積み重ねの中に、
本来の身体は宿るのだと思う。


