言葉にすることで、世界は少し整う

身体のことを研究していると、
よく思うことがあります。
それは、
「言葉にすることは、とても大切だ」
ということです。
身体の感覚というのは、
本来とても曖昧なものです。
なんとなく軽い。
なんとなく動きやすい。
なんとなく整っている。
もちろんそれでもいいのですが、
そこに言葉が与えられると、世界が少し整います。
感覚だけでは、消えてしまう
身体の世界では、
「なんとなく出来た」
ということがよく起こります。
たまたま上手くいく。
たまたま身体が軽い。
たまたま動きが良い。
でも、それだけでは
その感覚はすぐに消えてしまいます。
なぜなら、
再現する手がかりがないからです。
そこで大切になるのが
言語化です。
言葉は、身体への地図になる
例えばレッスンの中で、
「肩の力を抜いてください」
という言葉を使うことがあります。
でも実際には
それだけでは伝わらないことも多い。
そこで、
・肩甲骨を抜く
・膝を抜く
・丹田に乗り込む
といった言葉を使うと、
身体の感覚が急に変わる人がいます。
これは偶然ではありません。
言葉が
身体の地図
になるからです。
人は言葉を頼りに、
身体の使い方を見つけていくのです。
言葉は、感覚を固定する
もう一つ大事なことがあります。
それは、
言葉は感覚を固定する
ということです。
身体の良い状態に出会ったとき、
「これは何だろう?」
と考え、
言葉にしてみる。
するとその瞬間から、
その感覚は
再び見つけられるもの
になります。
言葉が
目印になるからです。
言葉は、人に伝わる形になる
そして言語化には
もう一つ大きな意味があります。
それは
人に伝えられる
ということです。
身体の感覚は
自分一人の中にあるだけでは
広がりません。
言葉にして初めて
他の人が理解できる形になります。
だから私は、
身体の研究をすると同時に
言葉を探し続けています。
言葉を探すことは、探求そのもの
言葉を見つける作業は、
簡単ではありません。
むしろ
かなり時間がかかります。
でもその時間こそが、
理解を深める時間
でもあります。
身体を感じる。
試してみる。
観察する。
そして言葉にする。
この繰り返しの中で、
少しずつメソッドが形になっていきます。
言葉は、未来に残る
身体の感覚は
その瞬間にしか存在しません。
でも言葉にすれば、
それは残ります。
本になるかもしれない。
レッスンになるかもしれない。
誰かの身体を変えるかもしれない。
だから私は、
身体の探求と同じくらい
言葉を大切にしています。
言葉は、
身体の世界を
未来へ残す方法
だからです。


