捨てる武道論(前編)

――積み上げの果てにあるもの

武道を続けていると、不思議なほど日常の動作までが稽古の延長に思えてくる。立ち上がる、歩く、振り向く──その一つひとつが「型」のように感じられ、呼吸や視線までもが武道的な意味を帯びてしまうのだ。

けれど、いくら意識を細かく配ろうとも、そこには必ず「作為」がまとわりつく。意識すればするほど、動きは重くなる。まるで、流れる川の水を手で掬おうとして、逆に濁らせてしまうようなものだ。

武道が本当に「使える」ものとなるのは、この作為を手放したときである。つまり、自然に動ける世界に入ったとき。そこでは「構えよう」と思った瞬間にはすでに遅れ、「打とう」と思えばその気配が相手を呼び起こしてしまう。だからこそ、気配を消さなければならない。あるいは、意図的に出すことができなければならない。

稽古を重ね、技を磨き、力を養った末に――それらを「捨てる」こと。矛盾に満ちた道だが、そこに武道の真実が潜んでいる。